滋賀1区(自民党) 大岡敏孝(おおおか としたか)
2011.12.16 (金)

国政は父性、地方は母性

今日は野田総理が、福島原発の事故収束を宣言しました。
ステップ2(冷温停止)を達成したので、収束に至ったと判断した、とのことですが・・・そんなに甘いものでしょうか?私はこれまでいろんな方から学んでき ましたが、為政者とか、経営者というのは、状況判断は常にシビアでなくてはならないと思っています。私はあとあと大変なことにならなければいいが・・・と 思っています。

細野大臣も、総理の発表を受けて、説明をしておられました。
細野さんと私は、同じ滋賀県の出身で、同じく静岡県で政治の仕事をする友人として、党派を超えて付き合ってきました。以前からこの男は大物になると確信していましたが、いま本当に良い顔になったと思っています。男らしい、政治家らしい顔になった、と思います。

私よりも1歳年上なのですが、その年齢で良くこれだけ重い仕事を受けておられる。おそらく家族も、自分の時間も、あらゆるものを犠牲にしてやっておられる のだと思います。この点では本当に頭が下がります。それに比べて私は・・・もう少し頑張らなければならないと反省しています。

説明も丁寧にされていて、福島の声を聞きながら一人でも多くの人が故郷に帰れるように・・・とおっしゃっていました。これはその通りです。

しかし一方で、細野さんだけに、私はもっと大きな期待をしてしまいます。それは、「本当の事」をはっきり告げる勇気です。これは、細野さんがウソを言って いると言うのではなく、「どうしようもないものは、どうしようもないのだ」というある意味冷徹になる覚悟を持っていただきたいと思っているのです。

おそらく多くの国民、これは福島の人たちも含めて、おそらくあの地域が帰れない地域であろうことは想像がついています。

少し考えればわかる事です。まずは年月です。3年たったら、5年たったら、10年たったら・・・高齢の方はどんどんなくなって行きます。また、壮年の方が 高齢者になります。子供たちは大人になり、仕事や家族を持つようになります。そのような状態で、あの場所に帰って一からやり直せるでしょうか?これは非常 に難しい。

あるいは、数年たって少しずつ帰れる地域が出来たとしましょう。数人あるいは数十人で帰って、町として再生できますか?そんな人数では商店も再生できず、 生活に必要なものも用意できないでしょう。学校が用意できるか、子供は帰ってくるか。それ以前に、数年であっても放置された家は、もう家としては使えませ ん。新しく新築するしかないのです。さらには道路などのインフラも地震で傷んでいます。

さらに言えば、福島の廃炉が完了するまで30年から50年と言われています。しかし本当にそうでしょうか。そもそも燃料が漏れだしている以上、30年や 50年では近づくことすらできないかもしれない。そうすすと・・・あの地域の場合は、ひょっとしたら次の地震が来る時期に差し掛かるかもしれません。東日 本大震災ほどではないにせよ、ボロボロの原発をもう一度地震と津波が襲えば・・・また振り出しに戻ることになるかもしれません。

総合的に考えると、「もう戻れません。あきらめてください。皆さんの土地は国で買い上げます。」というのが、政治家の本当の仕事なのかもしれません。とい うか、30年~50年たっても生きて日本を立て直してゆかなければならない、私たちの世代の政治家の仕事なのだと思います。

そもそもよく考えてみると、国政に必要なのは父性であり、地方の役割は母性でした。国は外国と交渉したり戦ったりしなければならない。また厳しい事も言わ なければならない。何かを犠牲にしても日本全体のために冷徹な決断をしなければならない。昔の国政の政治家は、厳しいお父さんのような、そういう覚悟や使 命感をもってやっておられました。

ただそれだけでは国民はもたない。だから地方自治体はきめ細かく住民に向き合ってきました。福祉や医療などの現場は常に地方でした。これは、まさに子供に いつも向き合うお母さんのようでした。私たち地方議員は、まさにお母さんのようにこまめに動き、現場の情報を集め、国のほころびの部分を丁寧に補正して政 策を作ってきたわけです。

しかし今や・・・国会議員がリップサービスに走り、米つきバッタのように住民におもねって・・・全く父性というものを感じなくなりました。また、小選挙区 制の導入によってその傾向はさらに顕著になりました。一票でも負けると落選してしまうので、今や国政は「右や左の旦那様」とばかりに、いろんな意見の人に 迎合して、何の決断もできなくなってしまいました。

国会議員に本来求められるものが、多少の犠牲を押し切ってでも国のために決断する冷徹な勇気であり、自己犠牲を顧みない決断であり、命をかけての外国との 交渉であるはずなのに・・・そういう父性がなくなってしまったのです。国会議員の選挙も、およそ強さや父性とはかけはなれた、極端な話が、個別の「かわい そう」で全体の発展を犠牲にする、政策としての本質を見誤るような意見を持った議員を選ぶようになったのです。お父さんのように厳しい決断をして、子供を 大きく育てなければならないのに・・・やっているのは、「耳触りのいい言葉を吐いて」「言葉をぼかして」「少しでも批判が出ると立ち止まってしまい」「結 果として先送り」というい政治になってしまいました。

もともと地方の役割は「やさしいお母さん」です。その地方ですら、そこまでひどくはありません。私の選挙区などは4人区ですから、いろんな局面ではっきり モノを言っても、多少強引に政策を進めても、それを一部の人に批判されたって落選しませんので、毅然とした態度で政治に臨めます。
それに比べると国政は・・・本当にだらしない有様です。

細野さんも、民主党政権の重責という立場があるのでしょう。しかし、できれば、「あと40年はこの世にいて、日本のために尽くさなければならない世代」の代表として、こうした「だらしない政治」を打ち破っていただきたいと期待しています。
これだけ日本が弱っている状況ですから、いまこそ国政に父性が必要です。日本の国政が強さを取り戻さないと、本当に日本が終わってしまうかもしれない。だらしない政治に引きずられて、日本全体がだらしなくなってしまったら・・・私は本当に強い危機感を持っています。

細野さんをはじめ、若い大臣の皆さんには、「本当の事」を言っていただきたい。
もう「耳触りは良いけど空虚」な言葉には飽きました。「あいまい」や「先送り」を「優しさ」だと勘違いしている人は少なくなったと思います。厳しいけれども、日本の将来を見越した決断をしていただきたいと思います。これは原発問題だけではなく、あらゆる分野についてです。
私は今こそ、厳格なお父さんのような、それでいて子供たちの将来を誰よりも静かに願っている、そういう政治が期待されていると確信しています。

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